てぃーだブログ › 杜の都仙台から

被災地のこと

 きのう、南三陸町へ行ってきました

大震災からずっとボランティアを続けている小池先生夫妻のお手伝いでした。

私は仕事の合間でのお手伝いです。

 はじめのころは炊き出し、支援物資の配布、年末にはクリスマス会、そして今は傾聴です。

もう10か月も経つのに街はそのまま、がれきの山やつぶされた車の山があちこちにありますが

家並みはありません、ただ、津波で流された土台だけが町並みだった面影を残しています。

 仮設住宅は台所と四畳半か六畳くらいの部屋が二つだけです。農漁村の家は大きい家が多いので

どれだけ窮屈な思いをしていらっしゃることでしょう

 昨日はトイレットペーパーを配りながら仮設住宅をまわりました。

お一人暮らしの方を訪ねたとき、はじめはとても暗い顔をされていてご迷惑かなと思わされましたが、

そのうちいろいろとお話ししてくださいました。最後に写真を撮らせてくださいとお願いしたところ、

写真は一枚もないから、と喜んでくださいました。

住宅をまわってお話を伺いながら、その方々のためにお祈りもさせていただきました。

  (お祈りは牧師先生がしてくださいました)

まだまだ寒い冬、みなさんの生活が守られますように・・・・

東北はきょうも雪が舞っています




  

2012年01月26日at 22:13 │Posted by れいちゃん │Comments(1)TrackBack(0)

明けましておめでとうございます


2012年

新しい年を迎えました

カメちゃんから松島の日の出の写メが送られてきました

東日本、東北は太陽のように力強く昇っていきたいと思います


新春早々沖縄のみなさんに会えてうれしいです

宮城県気仙沼市へ沖縄からボランティアに来てくださった東風平先生たち

気仙沼は仙台から車で3時間近くかかり、岩手県との県境にあります。

今回は首里バプテスト教会ゆかりのメンバーでしたので

私も高速道路を使い会いに行きました

この冬一番の寒さの時に南国からボランティアに来てくださり

ほんとうにありがとうございました。

  

2012年01月16日at 23:36 │Posted by れいちゃん │Comments(2)TrackBack(0)

衛さんに会いに行く

この夏は衛さんにとても会いたくて会いたくて仕事に行くのもちょっときつい毎日でした

神様、少しの間でいいから衛さんを地上に帰してください!

でも、そうしたら、また別れがもっとつらくなるかしら

水曜日、出かけようとしていた用事がなしになりました

せっかく出かけようと思ったので、思い切って新幹線に乗りました

行き先は宇都宮、わたしたちの思い出の地

天気が良かったので日光まで行ってしまいました

バスに揺られながら、私って馬鹿みたいかな、こんなして・・・

そう思いながら窓からすれちがう車を見ていたら

助手席に奥さんの遺影を乗せている車が見えました

あ〜 あの人も奥さんとの思い出の地を巡っているのかしら

私だけじゃないんだと慰められました

それから獨協大学のイチョウ並木と桜並木を歩いて


ごめんなさい

だれにも声をかけずに帰ってきました

でも、また少しがんばれそうです  

2011年10月15日at 23:57 │Posted by れいちゃん │Comments(2)TrackBack(0)

4年め・・・

今日は衛さんが天国へ行った日

4年間無我夢中で過ごしてきました

でもちょっと疲れました

衛さん、弱音を吐いてもいいですか

衛さんは 「休むのは天国へ行ってから・・・」って、がんばってたけど

わたしはできないよ

でも、房枝が卒業するまではがんばらないとね・・・

今日房枝からメールが来ました

「お父さんに伝えてください
今年は命日に帰れなくてごめんなさい。
今、私なりに迷いつつも将来に向かってるので見守ってください。
時々お父さんのアドバイスが聴きたいです。」






衛さんの弟たちからは大きなお花が届きました

ありがとう

そして お友だちからも・・・・  

2011年08月22日at 23:23 │Posted by れいちゃん │Comments(0)TrackBack(0)

今日の朝刊



昨日の夜中に長男からメール

「明日の読売の朝刊買っといて」

新聞記事の就活のコーナーに載るとのこと

仕事の帰りにコンビニで買ってみた

あらっ  !   ほんとに載ってる    

大学時代もいろいろあったね

入社して3年目

「実直でチャレンジ精神が旺盛」と上司が誉めてくださったことは親としてうれしい

お父さんは何事にも誠実な人だったから

こどもたちにもそうあってほしい

衛さんの命日が近づいて

情緒不安定なこの頃

少し元気をもらいました

ありがとう !!  

2011年08月17日at 02:52 │Posted by れいちゃん │Comments(1)TrackBack(0)

Thanks board

7月9日、長男の結婚式でした

お父さんが眠っている首里教会で、と言ってくれた2人

心から歓迎して準備してくだっさった教会のみなさん

静岡、埼玉、岩手と遠くから駆けつけてくれた親戚友人のみなさん

ありがとうございます

とても暖かい素敵な結婚式と披露宴でした






披露宴の乾杯では

「こちらはお父様のグラスです」  とボウイさんがグラスを2個持ってきてくださった

衛さんの写真をテーブルに置いて一緒にお祝いした

心遣いの細やかな

明るい太陽のような娘が増えました  

2011年07月18日at 22:54 │Posted by れいちゃん │Comments(4)TrackBack(0)

母の日のプレゼント

今年の母の日はなんにもありませんでした

大震災で大変な時だから・・・

夜、娘から電話

「今日、母の日だけどカーネーションと思ってたけど送れなかった・・・」

「あ〜ちょうどいいところに電話してくれて・・・

CDをコピーしたいけどやり方がわからなくて困ってたところなの」

ふーちゃんはすごいよね、お兄ちゃんたちよりパソコンに詳しい

WindowsでもMacでも使いこなしている

なかなか飲み込めないお母さんにイライラもせずに根気良く教えてくれた

何よりの母の日のプレゼントでした

コピーしたCDは 「ナースのための呼吸音聴診トレーニング」

ちゃんと勉強しなさいよ!

と自分に言いきかせた夜でした  

2011年05月09日at 22:01 │Posted by れいちゃん │Comments(10)TrackBack(0)

親バカです


7!!(セブンウップス)
今日CDが発売しました
いよいよデビュー  
曲は      フォーリンラブ
映画「高校デビュー」の主題歌

さっそく買いに・・・
と思ったのですが、仙台ではまだまだお店が開いていない所が多いのです
CDショップなんか開いてるかな・・・・

結局、インターネットで注文しました
しかも、
10枚も・・・・
100万枚は買えないので
せめてこれだけでも    と                   

親バカでした(笑)


7!!が載ってた雑誌とCD
  

2011年04月13日at 23:00 │Posted by れいちゃん │Comments(0)TrackBack(0)

応援してくれる君たちを応援するよ

おとといの夜もものすごい揺れでした
夜だから余計こわかったです、しかもひとり・・・
大震災から一月、みんな疲れがたまり始めている所にまた震度6の揺れ
こんなに強い地震が続くともう逃げるのもいやになってしまいそうです。
仕事から帰ってくると脱力感でボーッとしています
寝ていてもなんだか揺れているような感じがして身体がこわばっています。
被害の少ない私でもそうなのだから
避難所にいる方々は精神的にも大変だろうと思います

さて、ラジオDateFMでもコマーシャルしていますが、
明日、沖縄で東日本大震災のためのチャリティーコンサートが開かれます
Biginn、モンゴル800,HY,などの有名なミュージシャンの中に
息子たちのグループ  セブンウップス も加えてもらうそうです
セブンウップスは仙台に3回来ています

一番最初は衛さんが亡くなって2週間後
仙台ジャズフェスティバルに参加するためでした
わたしはこの子たちに癒されました

ナナエ、マイコ、ケイタ、ミチル、
仙台のこと、東北のことを思ってがんばってね  

2011年04月09日at 18:20 │Posted by れいちゃん │Comments(0)TrackBack(0)

神はわれらの避け所、また力

震災から3週間目の3月31日やっとガスが復旧しました
今週に入ってガソリンスタンドも並ばなくてよくなりました
我が家の次男は務めていたお店の再開のメドが立つまで、ということで先週から群馬へ出向、
私はまたしばらく一人になってしまいました


神はわれらの避け所、また力
苦しむとき、そこにある助け
それゆえ、われらは恐れない
たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、泡立っても
その水かさが増して山々が揺れ動いても
                           詩篇46篇


礼拝での聖書のことばです
私たちは世の中の情報に心が騒いでしまいますが
わたしたちの助けは天地万物を造られた神様からきます
主である神様に目と心を向けましょう
闇の中から光を照らす方
無から有を生み出す方
ほんとうの希望をもっておられる方に期待しましょう  

2011年04月06日at 22:48 │Posted by れいちゃん │Comments(2)TrackBack(0)

大震災 無事です

この度の東北関東大震災ではたくさんの方々にご心配をおかけしましたが、

私たちは被害も小さく無事です

3月11日、私は患者さまのお宅を訪問中でした

患者様の背中や足を擦りながらお話しをしていたら、いきなりグラッときました

大きな石ころの道を勢い良く走る馬車に揺られるように縦に横にと揺れ、これまで経験したことのない激しい揺れがとても長い時間続いたように感じました

病院に戻ったら中は真っ暗で電気も水道も止まっていました

自家発電でのテレビに仙台空港の津波の惨状が映し出され被害の大きさを知らされました

在宅で酸素をしている患者さまが心配でお家を回り酸素ボンベの手配をしたりして家に帰ったのは22時でした

マンションは電気も水も止まっていました。電子レンジが真っ逆さまに落ち、食器が散在していましたが、書棚は倒れていませんでした。その日は余震も多く、6階は怖いので薫と一緒に車の中に泊まりました

毛布を2枚掛けてエンジンをかけたり止めたりして休みましたが余震でなかなか眠れませんでした

ただ、空の星がきれいだったこと、それから、真っ赤な朝日のきれいだったこと・・・

次の日からはマンションに戻りました

日曜日に山形の友達がおにぎり、缶詰め、水、ガスボンベ、救援物資をわざわざ届けに来てくれました

なんてありがたいことでしょう


        人とは何者なのでしょう
               あなたがこれを心に留められるとは
                   人の子とは何者なのでしょう
                       あなたがこれを顧みられるとは
                                                                          詩篇8篇
  

2011年03月20日at 22:38 │Posted by れいちゃん │Comments(2)TrackBack(0)

誕生日

昨日、誕生日でした

ついに主人より年上になってしまいました

夜になってもだれもおめでとうって言ってくれない

メールをひらいたら

「お誕生日おめでとうございます」

どれもこれも化粧品メーカー、保険会社、そんなところからばかり・・・

(ちょっとさびしい? ) そんな年じゃないか・・・

11時30分、携帯電話がなった

「誕生日おめでとう! 遅くなってごめん。」

娘からだった。「電話くれたのあなただけよ」  (ちょっとうれしい!)

以前、バレンタインデーに娘は友達と食べると言ってケーキを作っていた

実はサプライズで私へのプレゼントだった

ふたりでそんなことを思い出して話した

23時50分、三男からメール

1時02分、 長男からメール(ちょっと日にち過ぎちゃってますけど・・・)

ところであと一人の息子は?

母の日も誕生日も我関せず・・・・(まっ。いいか!)

恭子さんも、姉ちゃんもありがとう!  

2011年02月16日at 18:44 │Posted by れいちゃん │Comments(1)TrackBack(0)

出版記念会

こんな私が出版記念会だなんて・・・

企画してくださった出版社の堀さんに感謝です

辻岡健象先生が衛さんが歌う芭蕉布のCDにあわせて

リコーダーを演奏してくださいました

マジックや腹話術で

なごやかなかに盛り上げてくださいました

エステルあきこさん、佐藤元気さんが

「てぃんさぐぬ花」 と 「青葉城恋歌」

沖縄と仙台とゆかりの歌を歌ってくださいました

いろいろ準備を手伝ってくださった教会の皆さん

いつもいつもありがとうございます  

2010年11月07日at 22:09 │Posted by れいちゃん │Comments(0)TrackBack(0)

本が出来ました



本当にできあがってしまいました。    神様感謝します。

衛さんの闘病中に書いていた日記と

私たちの出会い、栃木での生活、沖縄での生活などをまじえて書いています

神様みたいな夫、感情丸出しの妻、

どちらも神様は愛してくださっていることがわかります

10月初旬ごろから

キリスト教書店、または アマゾンで購入できます  

2010年09月23日at 13:09 │Posted by れいちゃん │Comments(4)TrackBack(0)闘病のこと

五十路の再会

30年前の同僚が集まりました

自治医科大学耳鼻咽喉科病棟

懐かしさのあまりタイムスリップ

30年前の患者さんの名前まで出て来てしまう

そういう私たちって ?

ちょっとあぶないかも・・・・

作並温泉のお湯にまったりつかって帰るとき

忘れ物はないかと八つの目でしっかり確認したはずなのに

山寺に着いてみたら、しっかりデジカメを忘れていたがーん

それでも気を取り直して

山寺の頂上までがんばりましたびっくり

おかげで三日間ふくらはぎが痛くて階段降りるのがきつかったです

珍道中でしたが、五十路の旅もいいなあと思いました

また誘ってくださいね  

2010年09月08日at 23:30 │Posted by れいちゃん │Comments(1)TrackBack(0)

3年がたちました

8月22日

衛さんが召天して3年がたちました

今年は伊作夫婦、薫、房枝と私

教会の佐藤先生ご夫妻が来てお祈りしてくださいました

衛さんのいろいろなことが思い出されます

本当は

この日にあわせて闘病記を出したいと思いましたが、

少し遅れてしまいました

私にとって

書くことは癒されることでした

ブログもまた書きたいと思います  

2010年08月25日at 00:14 │Posted by れいちゃん │Comments(1)TrackBack(0)闘病のこと

父の涙

8月22日
衛さんの召天記念日
牧師先生ご夫妻に来ていただき
家族でささやかに偲びました


CDの衛さんの歌声にあわせて「明日を守られるイエス様」をみんなで賛美しました

父は 衛さんが亡くなって
残された私がどうなってしまうのかとても心配だったことを声をつまらせ涙を流しながら語ってくれました
母も同じでした
この年になっても私はどれだけ両親に愛されているか
胸がいっぱいでした
衛さんのぶんまで孝行しないと・・・

父と母は
私がここまで来れたのは
イェス様の信仰と教会のみなさんの支えがあったから
と言ってくれました

本当に私はたくさんの人に助けられ励まされ支えられてきたことを感謝せずにはいられません
ありがとうございます  

2009年08月23日at 22:03 │Posted by れいちゃん │Comments(2)TrackBack(0)闘病のこと

かわいい〜ねえ


はじめまして

喜久里家の初孫ちゃんです

おばあちゃんに会いに仙台へ来ました

この笑顔にいっぱい、いっぱい癒されました


ありがとうハート  

2009年07月12日at 23:10 │Posted by れいちゃん │Comments(2)TrackBack(0)

愛する人を天に送って

先日、教会の女性の集い分科会で喪失体験のお話しをさせていただきました。
その時の原稿です

愛する人を天に送って
                             喜久里玲子

☆ 闘病のこと
 私の主人は一昨年の8月に天に召されました。9ヶ月の闘病でした。
私たちは主人の郷里沖縄で18年過ごしましたが、今度は私の両親に親孝行するために、5年間の予定で仙台に来ました。しかし、仙台に来て8ヶ月,大腸癌末期で余命数ヶ月と宣告されました。
 主人は末期癌の患者様のお世話をするホスピスの医師でしたので、自分の病気と余命宣告をしっかりと受けとめていました。そして迷わず「生きるにも死ぬにもイエス・キリストの栄光のため」と言い切りました。私はそのような主人の姿に、地上での別れだけでなく信仰の上でも主人はどんどん引き上げられて私だけが取り残されていくようなさびしさと悲しみを感じました。
 旧約聖書でヒゼキヤ王は神様にどれだけ忠実に歩んできたか訴え嘆願し、病を癒して寿命を延ばしてもらいました。「あなたもヒゼキヤのように祈って!あなたが祈ったら聴いてくれるかも知れないから」と主人にも詰め寄りました。私は神様に感情のありったけをぶつけました。聖書の中で病人を癒したり、生き返らせてくださる神様の奇跡をどうして見せてくださらないのですか?私の信仰が弱いからですか?こんな私だから神様は聞いてくださらないのですか?神様は私のことが嫌いなのですか?神様への怒りと自分を責めることの繰り返しでした。また、たった数ヶ月の残された期間、主人との時間をだれにも邪魔されたくないとの思いから、お見舞いもお断りしたり、来たひとを追い返したりとずいぶんと失礼な態度もとってしまいました。
 このような不安定な私を病人である主人はやさしく慰めてくれ、
「自分の感情をそのまま表したらいいよ、玲子が後悔しないように看病したらいいよ」
と言ってくれました。
そして私たちは朝夕に聖書を読み一緒に祈りました。

父よ、みこころならばこの杯を私から取りのけてください、しかし、私の願いではなく
みこころのとおりにしてください(ルカ22:42)

主人は「このゲッセマネの祈りは究極の祈りだよ」と言いました。私も少しずつ主のみこころのままにと祈ることができるように変えられていきました。
 私たちは最期まで自宅で過ごすことを希望しました。主人は自分の賜物を最期まで用いていただきたいと、月1度礼拝で特別賛美をさせていただき、亡くなる1ヶ月前にも弱った力を振り絞って賛美しました。8月22日、亡くなる2時間半前まで車いすに座っていましたが、その最期の2時間は痛みが強くモルヒネも効かず苦しみました。その苦しみに十字架のイェス様の姿が重なりました。床にくずれるように倒れかけた主人は私の膝のうえに横たわっていました。いつも主人をひとりじめしたいと思っている私への神様の憐れみでした。苦しい痛みの中で長男、長女とも最期のことばを交わしました。長男は「お父さんと約束したこと守るからね」と言い、主人は「ありがとう」と。娘は「お父さん、けんかしてごめんなさい」主人は「でも幸せだったよ」と答えました。息をひきとった主人の顔はさっきまでの苦しみがうそのように穏やかでした。微笑んでいるようにさえ見え、ほんとうに天国へ凱旋したことを確信させられました。

天に送ってから
☆喪失感
 市役所、銀行、その他いろいろな名義変更の手続きがあり。その度に死亡診断書、除籍証明書が必要と言われ、その度に主人がこの世から消されてしまい、これまで存在していたことさえも消されてしまうような悲しみと恐怖に襲われ、ある時はあたり構わず声を出して泣いてしまいました。あのやさしい声を聴きたい。あれもこれも相談したいのに、いつもそばにいるはずの人がいないさびしさ、肌のぬくもりが恋しい、もう一度だきしめてほしい、そんな日々が続きました。
今でも主人がいないことが嘘のように思える時があります。

☆ありのままの私を受けとめてくださる神様
 沖縄にいた時ホスピスでボランティアをさせていただき多くの方を見てきました、また、クリスチャンの方々のりっぱな証も見聞きしてきました。しかし、いざ自分がその立場になったら証をたてるどころか、神様へ怒りをぶつけ、のたうちまわり、いつも感情が不安定になりました。

 まことに主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ彼が助けを叫び求めた時聴いてくださった(詩篇22:24)

 彼らが苦しむ時には、いつも主も苦しみご自身の使いが彼らを救った
                              (イザヤ63:9)
 私が悲しみ、苦しみのあまりに神様をののしるようなことばを叫んでも神様は決して私を見捨てず憐れんでくださっていることが強く強く感じられました。

☆泣くことは癒されること
 泣き虫の私は闘病中もいつも泣いていました。在宅ホスピスの看護師長さんもそんな私を受けとめてくださいました。亡くなってからも礼拝で賛美するたびに、みことばを聴くたびに、主人を思い出し涙が溢れてきました。そのような私を教会のみなさんは温かく見守ってくれ、共に涙を流してくださいました。いつまでも泣いていてはだめだよ、がんばりなさい、と励ましてくれる方もいますが、教会のみなさんはそのままの私を受けとめてくれました。

☆せいいっぱい生きたという満足感
 主人は癌とわかった時、「僕はこれまで自分がやってきたことに悔いはないよ」と言いました。医師としてもまた音楽の賜物を用いても一生懸命仕えてきました。長く産婦人科医として働きながら、自分が本当にやりたいことは他にあると模索してホスピス医療にたどり着きました。病む人の心に寄り添う彼にぴったりの仕事でした。又、2005年には念願だったコンサートも開くことができました。ホスピスで出会った患者様の紹介を交えてサキソホンと賛美と証をすることができました。神様は主人が病気になることもすべてご存知で大盛況のコンサートにしてくださったことが今になってわかりました。仙台でもまだまだ用いられるべき人なのに・・・という思いもありますが、主人は本当に走るべき道を走り終えたといえるのかも知れません。
私は「玲子が後悔しないように看病したらいいよ」
という主人のことばに思い通りにさせてもらいました。面会を制限して2人の時間を過ごしたことも無礼な態度もありましたがかけがえのない時間でした。亡くなる2ヶ月前には弟たちの計らいで主人と沖縄に里帰りもでき、親戚に挨拶したり、教会で特別賛美もさせていただきました。母校である栃木の大学にも行きました。神様がその時々を導いてくださいました。また、告別式は最期の伝道集会にしようとふたりで話し合い、その時に使うDVDを編集しに一緒にでかけました、それが最期の外出でした。そして最期までお家で過ごせたこと、私の膝のうえで亡くなっていったこと、これらのことは悲しみの中にも満足を与えてくれました。

☆兄弟姉妹の支え
 毎月月命日になると教会の姉妹たちがお家へ来てくれ、慰め、励ましてくれました。
主人がこの世から消されてしまうことは悲しいことで、みんなが思い出を語ってくれることはとても慰められることでした。
 昨年の召天記念会はまるで教会の行事のひとつのように兄弟姉妹たちが準備をしてくれて外からのお客様をもてなしてくれました。また、記念誌まで作ってくださり、教会に1年半しかいなかった主人のことを多くの人が思い出として綴ってくれました。このことも大きな慰めでした。そして大きな証となりました。

☆娘の悲しみさびしさを受けとめてあげられなかったこと
 私たちには3人の息子と末娘がいます。私は主人の祖母や両親の介護などでいつも娘に寂しい思いをさせてきました。主人が病気になったときも高校生の娘を気遣うゆとりがありませんでした。「お母さんは自分だけがかわいそうな人と思っている」「お父さんじゃなくて自分を一番に愛して欲しかった」「周りの人におかあさんを助けてあげてね、と言われるのがいやだった」と言われました。私は悲しみをいっぱい表に出すことが出来ましたが、この子は出す場所がなかったんじゃないかと思います。いつかこの子もいっぱい泣ける時がくることを願っています。

☆現在の私のあゆみ
 主人が病気になってからいつも悲観的マイナス的に考えてしまう私でした。自分を責め、卑下したりしていた時
「僕が病気になってから玲子は自分を見失っているよ、玲子の良さを見つけて神様に用いていただきなさい。」
「玲子が笑っていると僕はうれしいよ」
主人が残したこの2つのことばは私の心の支えになっています。
今年から訪問看護師として働いていますが、25年のブランクがありながら看護師の仕事に就けたのも主人のことばに押し出されたからでした。在宅医療は主人も私も興味のあるところでした。しかし、25年も離れていた私にとっては知識や技術においても無理と思え、仕事を捜す時も老健施設が無難と思い面接に行きました。ところが、そこで訪問看護はどうですか?と声をかけられ働くことになりました。私のような経験不足の者が働かせていただけることは本当に神様の導きでした。同僚にクリスチャンの看護師がいて,その方からクリスチャンの同僚が与えられるよう祈っていたと聴き、なおさら神様の導きを感じ感謝しました。そして、この仕事を一番喜んでいるのは天国の主人だと思うと、主人と一緒に働いているような気がしてとてもうれしくなります。




  

2009年06月28日at 22:13 │Posted by れいちゃん │Comments(5)TrackBack(0)闘病のこと

父の日

6月21日  



喜久里衛様宛てに        花束が届きました
  
 送り主は               喜久里のきょうだい一同


この春就職した長男の  粋な計らい・・・

衛おとうさん、うれしいね!  

2009年06月22日at 21:08 │Posted by れいちゃん │Comments(5)TrackBack(0)闘病のこと