楽器ケース
衛さん愛用のアルトサックス
ケースに入れて飾っておくからね!
そうしてくれたらうれしいよ!
今日、やっと出来上がってきました
たくさんの方のご好意によって・・・
ガラスケースといっても どこに頼めば作ってもらえるのかわかりませんでした
そんな時に、衛さんの医療用かつらのことでTさんと知りあいました
私の話を聴いたTさんは、こころあたりを尋ねてみましょう、と言って下さいました
返事はしたもののTさんも見当がつかず困ったのだそうです、
そこで困った時に相談にのってくれる友達に話したところ、
そういえば、友達に作ったことのある人がいるよ・・・
というわけでTさんの友達の友達の紹介で東京ネオン電気株式会社のOさんと
めぐりあうことができました
TさんもOさんも私の想いを汲んで親身になってくださいました
特にTさんはケースができあがるまで仕事の合間をぬって足を運んで下さいました
ちょっとしたご縁からこんな熱い人情をいただき ただただ感謝でいっぱいです
私って どれだけ多くの方に支えられて生きているのでしょうか
ねえ、衛さん
あなたもそう思うでしょう
沖縄の海
去年の6月16日から3泊4日で沖縄に行きました
お母さんの誕生日にあわせて来ないかとの弟たちの計らいでした
梅雨のなかでしたが
上空からは沖縄本島、北から南すべてが見渡せ、
衛さんへ神様からのプレゼントと感じました

最後の1泊は
恩納村のホテルに泊まりました
疲れた時、よく海を眺めに来たものです
ホテルではとても親切にしていただきました
予約した部屋からは海がよく見えなかったので
フロントに話したら快く代えてくれて
従業員一人ひとり親切で気持ち良く対応してくれました
沖縄県民だった私たちは、誇らしく思いました
おかげで、衛さんは
ベッドにクッションを重ねて寝たままの状態で海を見ることが出来ました


夕食の時間にはきれいなサンセットも 見ることが出来とてもいい時間を過ごしました 次の日は朝から雨で本当に神様のプレゼントでした
去年のことが思い出されて
6月に入ってとても情緒不安定でした
時計の時間を何度も確かめては眠れない夜、
朝、目が覚めたら涙が止まらない
身体が動き出すのに昼までかかってしまう、そんな日々でした
みなさんに励まされてまた落ち着いてきました、
こんなことの繰り返しなのでしょうね
お母さんの誕生日にあわせて来ないかとの弟たちの計らいでした
梅雨のなかでしたが
上空からは沖縄本島、北から南すべてが見渡せ、
衛さんへ神様からのプレゼントと感じました
最後の1泊は
恩納村のホテルに泊まりました
疲れた時、よく海を眺めに来たものです
ホテルではとても親切にしていただきました
予約した部屋からは海がよく見えなかったので
フロントに話したら快く代えてくれて
従業員一人ひとり親切で気持ち良く対応してくれました
沖縄県民だった私たちは、誇らしく思いました
おかげで、衛さんは
ベッドにクッションを重ねて寝たままの状態で海を見ることが出来ました
夕食の時間にはきれいなサンセットも 見ることが出来とてもいい時間を過ごしました 次の日は朝から雨で本当に神様のプレゼントでした
去年のことが思い出されて
6月に入ってとても情緒不安定でした
時計の時間を何度も確かめては眠れない夜、
朝、目が覚めたら涙が止まらない
身体が動き出すのに昼までかかってしまう、そんな日々でした
みなさんに励まされてまた落ち着いてきました、
こんなことの繰り返しなのでしょうね
ミニコンサート

2007年6月10日
教会の礼拝でサックスの演奏をさせていただいた
5日前の化学療法は新しい薬で本人にとってとてもきついものだった
コンサートの前日もやっとの思いで練習に出かけた
しかし、当日はそのようなつらさもわからないほど素晴らしい音色だった
衛さんもこれまでで一番いい音色だったと・・・
実は癌になってから
サックスはもう吹けないとあきらめていたようだった
だからあんなに好きだったCDも殆ど聴こうとしなっかった
4月28日、
衛さんが師と仰ぐ須川展也氏が出演するオーケストラを聴きに山形まで行った
それから気持ちが動いたのかも知れない
気分の良い日には楽器を手にして音は出さずに指先で練習していた
病気になってから最初で最後のコンサートだった
それは衛さんのすべての思いをかけた音色だった
去年の今頃は身体が2つほしかった
一昨年、次男が気胸で入院、
病院によばれて開口一番
「なぜこんなになるまで放っておいたのですか」
CTによると間質性肺炎といって肺の中が嚢胞だらけで、お年寄りの肺のようだと・・・
そのために肺に穴が開いて気胸になったらしい
CTの画像からはこのままいけば10年位しかもたないとまでいわれた。
私たちは大学病院にも行った。20歳でこのような肺の画像は珍しいらしく病気の診断がつかなかった。
結局、肺好酸球肉芽腫の疑いで様子をみることになった。
そして去年の5月19日
ふたたび気胸で入院、
抗がん剤治療をしている衛さんを家に残して神奈川に行った
仙台と神奈川、あっちもこっちも心配で泣き泣き行ったり来たりしていた
結局、2週間経っても穴がふさがらず、手術をすることになった
次男は「お父さん大変だから、手術、僕一人でもいいよ。」
私が行ったり来たりするのを見てこの子も心を痛めているんだなあといじらしかった
「全身麻酔の手術なのに一人おけるわけないでしょ 」
この時ほど身体が2つほしいと思ったことはない
衛さんも「僕の命はどうなってもこの子は助けてください。」と祈っていた
組織検査でも結局病名の診断がつかなかった
本人は元気に学業とバイトに励んでいるけど
爆弾かかえているようで心配 です
病院によばれて開口一番
「なぜこんなになるまで放っておいたのですか」
CTによると間質性肺炎といって肺の中が嚢胞だらけで、お年寄りの肺のようだと・・・
そのために肺に穴が開いて気胸になったらしい
CTの画像からはこのままいけば10年位しかもたないとまでいわれた。
私たちは大学病院にも行った。20歳でこのような肺の画像は珍しいらしく病気の診断がつかなかった。
結局、肺好酸球肉芽腫の疑いで様子をみることになった。
そして去年の5月19日
ふたたび気胸で入院、
抗がん剤治療をしている衛さんを家に残して神奈川に行った
仙台と神奈川、あっちもこっちも心配で泣き泣き行ったり来たりしていた
結局、2週間経っても穴がふさがらず、手術をすることになった
次男は「お父さん大変だから、手術、僕一人でもいいよ。」
私が行ったり来たりするのを見てこの子も心を痛めているんだなあといじらしかった
「全身麻酔の手術なのに一人おけるわけないでしょ 」
この時ほど身体が2つほしいと思ったことはない
衛さんも「僕の命はどうなってもこの子は助けてください。」と祈っていた
組織検査でも結局病名の診断がつかなかった
本人は元気に学業とバイトに励んでいるけど
爆弾かかえているようで心配 です
信仰・希望・愛
4月30日は結婚記念日でした
ほんとうなら銀婚式を迎えるはずでした
せめて銀婚式まで一緒にいさせてって神様にお願いしたのに・・・
写真に向かって文句を言っても、あなたは微笑んでいるだけ
そうだよね、神様が決めたことだものね
でも神様、わたしは衛さんに会いたいです・・・
先日、姪が結婚しました
チャペルで聖書の言葉が読まれました
衛さんの好きな御言葉でした
学生赤十字奉仕団の部長をしていた時も
学園祭の挨拶に引用していました
ふたりで会う時も聖書を開いてこの箇所を読みました
初めて買った車にも描きました
衛さんはこの御言葉のように歩みました
寛容で、やさしく、謙虚で、人のことを悪く言うことも嫌いでした
愛を追い求め、実践した人でした
ほんとうなら銀婚式を迎えるはずでした
せめて銀婚式まで一緒にいさせてって神様にお願いしたのに・・・
写真に向かって文句を言っても、あなたは微笑んでいるだけ
そうだよね、神様が決めたことだものね
でも神様、わたしは衛さんに会いたいです・・・
先日、姪が結婚しました
チャペルで聖書の言葉が読まれました
第一コリント13章
愛は寛容であり、愛は親切です。また、人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛はけっして絶えることがありません。
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で、一番すぐれているのは愛です
愛は寛容であり、愛は親切です。また、人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛はけっして絶えることがありません。
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で、一番すぐれているのは愛です
衛さんの好きな御言葉でした
学生赤十字奉仕団の部長をしていた時も
学園祭の挨拶に引用していました
ふたりで会う時も聖書を開いてこの箇所を読みました
初めて買った車にも描きました
衛さんはこの御言葉のように歩みました
寛容で、やさしく、謙虚で、人のことを悪く言うことも嫌いでした
愛を追い求め、実践した人でした
マンション
去年の4月24日は引っ越しでした
前日から友達のMさんや教会のみなさんが手伝いに来てくれました
(私はいつも助けられてばかりです)
岩手にいる私の両親に親孝行をしようと、5年間の約束で仙台にきた私たちでした。
衛さんは
「自分が病気になってしまい、かえって両親に心配かけてしまった。
自分がいなくなった後、玲子が生活していくのに心配ないようにマンションを購入して
両親に少しでも安心してもらいたい。」
私は衛さんの気持ちがとてもうれしかった。
それなら衛さんが元気なうちに買って少しでも長く一緒に生活したい
そのマンションに思い出を残したいと思った。
そうじゃなかったら、そこで暮らすのは悲しい・・・
お金のメドもたたぬままマンション探しを始めたのでした

ハラハラドキドキの買い物でした
でも神様はすべてを備えて下さいました
衛さんが気に入ったマンションが見つかり
4ヶ月そこで過ごすことができました

前日から友達のMさんや教会のみなさんが手伝いに来てくれました
(私はいつも助けられてばかりです)
岩手にいる私の両親に親孝行をしようと、5年間の約束で仙台にきた私たちでした。
衛さんは
「自分が病気になってしまい、かえって両親に心配かけてしまった。
自分がいなくなった後、玲子が生活していくのに心配ないようにマンションを購入して
両親に少しでも安心してもらいたい。」
私は衛さんの気持ちがとてもうれしかった。
それなら衛さんが元気なうちに買って少しでも長く一緒に生活したい
そのマンションに思い出を残したいと思った。
そうじゃなかったら、そこで暮らすのは悲しい・・・
お金のメドもたたぬままマンション探しを始めたのでした
ハラハラドキドキの買い物でした
でも神様はすべてを備えて下さいました
衛さんが気に入ったマンションが見つかり
4ヶ月そこで過ごすことができました
待望の書斎
遠くに泉が岳をのぞみ川のせせらぎを聴き、心安らいでいました。外に出かけるよりも家の中で静かに過ごすことを好んでいました。そして最期までここで過ごせたことは私たちにとって幸せでした。
誕生日
4月12日
今日は衛さんの54回目の誕生日
去年の今ごろは化学療法を続けながらも体調が良く、
3時間ぐらい仕事に出ていた
食事もだいぶ食べられるようになり
おやつには黒豆せんべいを好んで食べた
4月12日木曜日、朝からお天気が良かった
今日は仕事を休んでお花見に行こう!
と誘惑してしまった


大河原町 一目千本桜 満開の桜のむこうに雪の蔵王

きょうはお花とケーキを買ってきました
長男 伊作から、弟からもメッセージ ありましたよ
うれしいね!
今日は衛さんの54回目の誕生日
去年の今ごろは化学療法を続けながらも体調が良く、
3時間ぐらい仕事に出ていた
食事もだいぶ食べられるようになり
おやつには黒豆せんべいを好んで食べた
4月12日木曜日、朝からお天気が良かった
今日は仕事を休んでお花見に行こう!
と誘惑してしまった
大河原町 一目千本桜 満開の桜のむこうに雪の蔵王
夜にはささやかな誕生会
ふーちゃんがお父さんのためにケーキを作ってくれました
ふーちゃんがお父さんのためにケーキを作ってくれました
きょうはお花とケーキを買ってきました
長男 伊作から、弟からもメッセージ ありましたよ
うれしいね!
獨協医大の桜並木

去年の7月、母校の独協医大を見に行った
衛さんは前から行きたいと言っていたが
7月に入って食事が食べられなくなり
身体のむくみも痛みも強くなってきた
行くなら今しかない、
とっさの計画だった
自分が学んだ大学が発展していることをとても喜んでいた
いちょう並木も、桜並木も大きくなって
過ぎし年月を感じた
学生時代は赤十字奉仕団で
益子町などに合宿しながら保健指導をした
バドミントン、ビブロス探求会(聖書研究会)にもいた
ビブロス探求会はメンバーが少なかったので
学園祭には私も手伝いに行った
学生になったみたいで楽しかった
さくら並木を車いすで歩きながら
満開のさくら、見たいけど、ぼくはもういないね。
私が代わりに見に来るから衛さんは天国から来るんだよ。
4月5日
約束通り見に来たよ
ほら、
みごとなさくら、満開だよ
テレパシー
病院の待合室でのこと
衛さんは目をつぶってずーっとうつむいていた
気分がわるいのかなあ・・・私もじっとしていた
衛さんは突然私の顔をのぞきこんで
「聴こえた?」
「えっ、なあに?」
「今、テレパシーの練習してた」
私は毎晩衛さんにしがみついて眠っていた
私を置いて遠くに行ってしまう・・・
もうすぐ月に帰ってしまうかぐや姫
いや、かぐやパパだねって
そして私はなんとか引き留めようとするおばあさん
テレパシーは習得できなかったけど
いつもやさしいまなざしで
「愛してるよ 」 って言ってくれたそのことば
今も聴こえているよ 衛さん
衛さんは目をつぶってずーっとうつむいていた
気分がわるいのかなあ・・・私もじっとしていた
衛さんは突然私の顔をのぞきこんで
「聴こえた?」
「えっ、なあに?」
「今、テレパシーの練習してた」
私は毎晩衛さんにしがみついて眠っていた
私を置いて遠くに行ってしまう・・・
もうすぐ月に帰ってしまうかぐや姫
いや、かぐやパパだねって
そして私はなんとか引き留めようとするおばあさん
テレパシーは習得できなかったけど
いつもやさしいまなざしで
「愛してるよ 」 って言ってくれたそのことば
今も聴こえているよ 衛さん
イースターの賛美と証
去年のイースターは4月8日
衛さんは特別賛美と証をした
賛美は 「感謝します」
この歌も衛さんがよく歌っていた曲で
衛さんの信仰そのものを表している
・・・・・・ 2007年イースターの証 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・喜久里 衛 ・・・・・・
生きるにも死ぬにも私の身によって キリストがあがめられること(ピリピ人への手紙 1: 20)
私は昨年の11月末に大腸癌の診断により、手術を受けました。癌は進行癌でありそれもかなり進んでいると説明を受けました。私は医師であり、また、癌末期の方々のお世話をするホスピスに勤めていますので、癌の進行具合を聴いて、もう助からない、「死の備え」を心しようと思いました。その時考えていたことは冒頭に述べた聖句です。
妻とそのことで話しあい、子どもたちにも心備えを促しました。ところで、病気の説明を受けた後、私は病気の状況から神様は病気の癒しについて何もして下さらないだろうなと不信仰な思いを抱きました。 余命は数ヶ月とも言われ、私は残された短い期間に神様に叶えて欲しいことを考え、三つのことをお願いすることにしました。
一つは家族の信仰の一致。私には子どもが4人いますが、それぞれ一度はイェス様への信仰を表し、バプテスマを受けました。しかし、神様から離れている子たちがいます。ぜひ信仰が回復し、家族が信仰を一致して一つとさせていただきたいのです。
二つ目は、職場(ホスピス)に復帰して癌末期の患者さんに寄り添いたいとの願いです。同じく癌を患う身として患者さんが抱く痛みを共に感じながら寄り添いたいのです。また、私の身を親切な心で対応して下さった私が勤める病院に報いたいという願いです。
三つ目は、教会で何らかのご奉仕に与りたいとの願いでした。私は27年前、私の理想とする人として、また神様であるイェス様を私は幼子のように私の主として信じ受け入れました。神様のお恵みでした。これまでの信仰生活を通して、私は神様に感謝でいっぱいです。信仰を持ったことを後悔することはありません。また、神様に失望することは一度もありませんでした。父のように、神様は私を訓練し育てて下さいました。この神様に生涯お仕えしたいのです。
私はせっぱ詰まったような思いで、佐藤先生ご夫妻や仙台北教会の皆様に、また以前所属していた沖縄の教会やその他の知人のクリスチャンにお祈りをお願いしました。これまでに私は、多くの方々からお手紙やお電話をいただきました。また、直接お見舞いに来て下さった方々もありました。私はこのような多くの皆様と接していくうちに、生きながらえることに思いが変わっていきました。聖書の中でも人は生きながらえることを神様に願い、神様も人の生きたいという思いを理解しておられることを知りました。このことを通して、神様は生きながらえることを願ってもよいのだよと言っておられるように思ったのです。
聖書の中で、パウロは「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるのでどちらを選んだらよいのか、私にはわかりません・・・・・しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。私はこのことを確信していますから、あなた方の信仰の進歩と喜びのために、私が生きながらえて、あなた方すべてと一緒にいるようになることを知っています。」(ピリピ人への手紙1:21〜25)と述べています。
私は神様のみこころにかなうなら、生きながらえて家族や教会そして職場・地域で神様と隣人へ仕えたいと切に願うようになりました。私はいのちを神様に賜りました。いのちは神様のものです。ですから、みこころのままに生きます。生きるにしても死ぬにしても私の身によって、私の主イェス様があがめられますように神様に願い求めます。
神様の御名にご栄光がとこしえにありますように!
衛さんは特別賛美と証をした
賛美は 「感謝します」
この歌も衛さんがよく歌っていた曲で
衛さんの信仰そのものを表している
1.感謝します 試みにあわせ
鍛えたもう 主の導きを
感謝します 苦しみの中で
育てたもう 主の御心を
* しかし 願う道が 閉ざされた時に
目の前が 暗くなりました どんな時でも
あなたの約束を 忘れない者としてください
2.感謝します 悲しみの時に
共に泣きたもう 主の愛を
感謝します こぼれる涙を
ぬぐいたもう 主のあわれみを
*くりかえし
3.感謝します 試みに耐える
力をくださる みめぐみを
感謝します すべてのことを
最善となしたもう みこころを
* くりかえし
鍛えたもう 主の導きを
感謝します 苦しみの中で
育てたもう 主の御心を
* しかし 願う道が 閉ざされた時に
目の前が 暗くなりました どんな時でも
あなたの約束を 忘れない者としてください
2.感謝します 悲しみの時に
共に泣きたもう 主の愛を
感謝します こぼれる涙を
ぬぐいたもう 主のあわれみを
*くりかえし
3.感謝します 試みに耐える
力をくださる みめぐみを
感謝します すべてのことを
最善となしたもう みこころを
* くりかえし
・・・・・・ 2007年イースターの証 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・喜久里 衛 ・・・・・・
生きるにも死ぬにも私の身によって キリストがあがめられること(ピリピ人への手紙 1: 20)
私は昨年の11月末に大腸癌の診断により、手術を受けました。癌は進行癌でありそれもかなり進んでいると説明を受けました。私は医師であり、また、癌末期の方々のお世話をするホスピスに勤めていますので、癌の進行具合を聴いて、もう助からない、「死の備え」を心しようと思いました。その時考えていたことは冒頭に述べた聖句です。
妻とそのことで話しあい、子どもたちにも心備えを促しました。ところで、病気の説明を受けた後、私は病気の状況から神様は病気の癒しについて何もして下さらないだろうなと不信仰な思いを抱きました。 余命は数ヶ月とも言われ、私は残された短い期間に神様に叶えて欲しいことを考え、三つのことをお願いすることにしました。
一つは家族の信仰の一致。私には子どもが4人いますが、それぞれ一度はイェス様への信仰を表し、バプテスマを受けました。しかし、神様から離れている子たちがいます。ぜひ信仰が回復し、家族が信仰を一致して一つとさせていただきたいのです。
二つ目は、職場(ホスピス)に復帰して癌末期の患者さんに寄り添いたいとの願いです。同じく癌を患う身として患者さんが抱く痛みを共に感じながら寄り添いたいのです。また、私の身を親切な心で対応して下さった私が勤める病院に報いたいという願いです。
三つ目は、教会で何らかのご奉仕に与りたいとの願いでした。私は27年前、私の理想とする人として、また神様であるイェス様を私は幼子のように私の主として信じ受け入れました。神様のお恵みでした。これまでの信仰生活を通して、私は神様に感謝でいっぱいです。信仰を持ったことを後悔することはありません。また、神様に失望することは一度もありませんでした。父のように、神様は私を訓練し育てて下さいました。この神様に生涯お仕えしたいのです。
私はせっぱ詰まったような思いで、佐藤先生ご夫妻や仙台北教会の皆様に、また以前所属していた沖縄の教会やその他の知人のクリスチャンにお祈りをお願いしました。これまでに私は、多くの方々からお手紙やお電話をいただきました。また、直接お見舞いに来て下さった方々もありました。私はこのような多くの皆様と接していくうちに、生きながらえることに思いが変わっていきました。聖書の中でも人は生きながらえることを神様に願い、神様も人の生きたいという思いを理解しておられることを知りました。このことを通して、神様は生きながらえることを願ってもよいのだよと言っておられるように思ったのです。
聖書の中で、パウロは「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるのでどちらを選んだらよいのか、私にはわかりません・・・・・しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。私はこのことを確信していますから、あなた方の信仰の進歩と喜びのために、私が生きながらえて、あなた方すべてと一緒にいるようになることを知っています。」(ピリピ人への手紙1:21〜25)と述べています。
私は神様のみこころにかなうなら、生きながらえて家族や教会そして職場・地域で神様と隣人へ仕えたいと切に願うようになりました。私はいのちを神様に賜りました。いのちは神様のものです。ですから、みこころのままに生きます。生きるにしても死ぬにしても私の身によって、私の主イェス様があがめられますように神様に願い求めます。
神様の御名にご栄光がとこしえにありますように!
ゲッセマネの祈り
もうすぐイースター(復活祭)
そのせいかわたしの心は不安定
なにも手に付かない
家にいるとボーッとしている
涙が出てしまう
去年のイースターには
教会の聖歌隊で歌っていた衛さん
私はいつも神様に自分の思いをぶつけた
ある時は怒ったり、また、そんな自分を謝ったり・・・
神様はもしかしたらご計画を変えて癒してくださるかもしれない
聖書の中で数々の癒しや奇跡をした方は今の時代にも働かれるはずではないか!
父よ、みこころならば、この杯をわたしから取りのけて下さい。
しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください (ルカ22:42)
イェス様はゲッセマネの園でこのように祈った
衛さんはこれは究極の祈りだと言った
だから癒されることを願いながらも
みこころに従う決意ができていた
気が狂わんばかりの私をなだめ
だいじょうぶ・・だいじょうぶ・・
神様は最善をしてくれるんだよ、と
そのせいかわたしの心は不安定
なにも手に付かない
家にいるとボーッとしている
涙が出てしまう
去年のイースターには
教会の聖歌隊で歌っていた衛さん
私はいつも神様に自分の思いをぶつけた
ある時は怒ったり、また、そんな自分を謝ったり・・・
神様はもしかしたらご計画を変えて癒してくださるかもしれない
聖書の中で数々の癒しや奇跡をした方は今の時代にも働かれるはずではないか!
父よ、みこころならば、この杯をわたしから取りのけて下さい。
しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください (ルカ22:42)
イェス様はゲッセマネの園でこのように祈った
衛さんはこれは究極の祈りだと言った
だから癒されることを願いながらも
みこころに従う決意ができていた
気が狂わんばかりの私をなだめ
だいじょうぶ・・だいじょうぶ・・
神様は最善をしてくれるんだよ、と
明日を守られるイエス様
沖縄の病院アドベンチスト・メディカルセンター
毎週火曜日のお昼のコンサート
いつも歌っていた賛美歌
それが「明日を守られるイエス様」
言わば 喜久里衛のテーマソングである
衛さんが賛美歌を歌う時は
なんどもなんどもくちずさみ
その歌詞を かみしめて
自分のものとして歌っていた
だから聴くひとの心にひびくのだと思う
衛さんはこの歌を何度もなんども歌い
心の底から
イェス様に信頼していった
だから いつもおだやかでいられたのだと思う
毎週火曜日のお昼のコンサート
いつも歌っていた賛美歌
それが「明日を守られるイエス様」
言わば 喜久里衛のテーマソングである
明日を守られるイェス様
1. 明日は どんな日か 私は知らない
晴れか あらしか 曇りになるか
私は あしたを 心配しない
イエスが 私を 守られるから
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
2. 日々の歩は 日々に 明るく
肩の重荷は しだいに軽い
輝く太陽 涙かわかし
仰ぐ空には 虹のかけはし
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
3. 明日は どんな日か 私は知らない
どんな道筋が 先に あるかも
だけど 私は 心配しない
イエスがおられる 私のそばに
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
1. 明日は どんな日か 私は知らない
晴れか あらしか 曇りになるか
私は あしたを 心配しない
イエスが 私を 守られるから
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
2. 日々の歩は 日々に 明るく
肩の重荷は しだいに軽い
輝く太陽 涙かわかし
仰ぐ空には 虹のかけはし
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
3. 明日は どんな日か 私は知らない
どんな道筋が 先に あるかも
だけど 私は 心配しない
イエスがおられる 私のそばに
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
衛さんが賛美歌を歌う時は
なんどもなんどもくちずさみ
その歌詞を かみしめて
自分のものとして歌っていた
だから聴くひとの心にひびくのだと思う
衛さんはこの歌を何度もなんども歌い
心の底から
イェス様に信頼していった
だから いつもおだやかでいられたのだと思う
家族のひととき
衛さんの余命宣告は子どもたちにとってどんな思いだったろう
手術の説明を聞く時、長男、次男が同席してくれた
説明が終わって、私が泣いている間、長男はドアの側でぐっとこらえているように見えた
ふと気がつくと次男の姿が見えなかった、
病室に戻った彼はお父さんをまともに見れないように私には感じられた
まじめで誠実なお父さんが
神様のためにも一生懸命やってきたお父さんがなぜ?
神様に裏切られたような気がする・・・
三男の言葉・・・
子どもたちの正直な気持ちだろう
私が泣いていると、長男が言った
つらい時は自分だけで抱え込まないでおれたちにも言ってよ
子どもたちが頼もしく見えた

2006年クリスマス
家族で過ごす最後のクリスマスかもしれない
衛さんはこどもたち一人ひとりと
語り合った
2007年2月11日

松島に1泊
ホテルの部屋からずっと海を眺めていた
ちらつく雪がライトアップされとても幻想的だった
衛さんは夕食も殆ど食べて
私がかえって心配するほどだった
それだけ気分が良かったのだろう

一週間前は
この旅行を中止しようかと思うほど辛かったのに
神様感謝します
手術の説明を聞く時、長男、次男が同席してくれた
説明が終わって、私が泣いている間、長男はドアの側でぐっとこらえているように見えた
ふと気がつくと次男の姿が見えなかった、
病室に戻った彼はお父さんをまともに見れないように私には感じられた
まじめで誠実なお父さんが
神様のためにも一生懸命やってきたお父さんがなぜ?
神様に裏切られたような気がする・・・
三男の言葉・・・
子どもたちの正直な気持ちだろう
私が泣いていると、長男が言った
つらい時は自分だけで抱え込まないでおれたちにも言ってよ
子どもたちが頼もしく見えた
2006年クリスマス
家族で過ごす最後のクリスマスかもしれない
衛さんはこどもたち一人ひとりと
語り合った
2007年2月11日
松島に1泊
ホテルの部屋からずっと海を眺めていた
ちらつく雪がライトアップされとても幻想的だった
衛さんは夕食も殆ど食べて
私がかえって心配するほどだった
それだけ気分が良かったのだろう
一週間前は
この旅行を中止しようかと思うほど辛かったのに
神様感謝します
7!! 吹雪のライブ
2月23日 大井沢雪祭り


ここは山形県 月山の麓 積雪 2メートルの豪雪地帯
7!!にとって初めての雪なのに
いきなり豪雪、しかも吹雪!!




凍りつく指先
時折吹き出す突風
よくがんばったね!!
観客もジャンプして
スウィングして
会場全体が一つになっていたね!
小さな村の大きな人情
応援して盛り上げてくださったみなさん
CD買って下さったみなさん
2晩泊めて下さったみなさん
吹雪の中山形駅まで送って下さったSさん、ありがとうございます
仙台ジャズフェスで無名のバンドに惚れ込んでくれたMさん
時間もお金も注いで下さりありがとうございます
私でさえこんなに胸いっぱいなので
当人たちはどれほどでしょう
これからの活動に大きな力になると思います
続きを読む
ここは山形県 月山の麓 積雪 2メートルの豪雪地帯
7!!にとって初めての雪なのに
いきなり豪雪、しかも吹雪!!
凍りつく指先
時折吹き出す突風
よくがんばったね!!
観客もジャンプして
スウィングして
会場全体が一つになっていたね!
小さな村の大きな人情
応援して盛り上げてくださったみなさん
CD買って下さったみなさん
2晩泊めて下さったみなさん
吹雪の中山形駅まで送って下さったSさん、ありがとうございます
仙台ジャズフェスで無名のバンドに惚れ込んでくれたMさん
時間もお金も注いで下さりありがとうございます
私でさえこんなに胸いっぱいなので
当人たちはどれほどでしょう
これからの活動に大きな力になると思います
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元気をくれた7!!(セブンウップス)
沖縄のインディーズバンド 7!!(セブンウップス)


我が家の三男坊 ミッチー
三ツ矢サイダーのCMに起用されてから
アルバイトしながらバンドを続けたい、と言った
ええ〜っ?
でも父親の衛さんは
「 できるところまでやってみたらいいよ 」
そして去年9月 仙台ジャズフェスティバルに出場した
衛さんが亡くなって17日目だった
衛さんは自分の最後とぶつからないか心配していた
そして、なにがあっても満には出させてあげなさい、と
8月に入ってご飯が食べられなくなって
私はジャズフェスまでがんばろうって励ました
でも、
「もう、がんばれって言わないで・・・」
わたしはそれ以上言えなかった・・・・・
悲しみの中のジャズフェスティバル
でも この子たちにわたしは元気をもらった
けいたくん、ななえちゃん、まいこちゃん、みっちー、ありがとう!!
我が家の三男坊 ミッチー
三ツ矢サイダーのCMに起用されてから
アルバイトしながらバンドを続けたい、と言った
ええ〜っ?
でも父親の衛さんは
「 できるところまでやってみたらいいよ 」
そして去年9月 仙台ジャズフェスティバルに出場した
衛さんが亡くなって17日目だった
衛さんは自分の最後とぶつからないか心配していた
そして、なにがあっても満には出させてあげなさい、と
8月に入ってご飯が食べられなくなって
私はジャズフェスまでがんばろうって励ました
でも、
「もう、がんばれって言わないで・・・」
わたしはそれ以上言えなかった・・・・・
悲しみの中のジャズフェスティバル
でも この子たちにわたしは元気をもらった
けいたくん、ななえちゃん、まいこちゃん、みっちー、ありがとう!!
機能訓練
衛さんにとって
手術前1週間の絶食 、 全身麻酔、 手術、
手術後2週間で退院の時には、足腰の筋力が衰えてしまっていた
年が明けて1月2日から歩行練習に出かけた
台原森林公園
一日目は100メートル位歩くのがやっとだった
二日、三日 と 少しずつ距離を延ばしていった
真冬の公園は寒い、風邪を引かないかと心配しながら・・・
ダウンジャケット、帽子、手袋、マスクで防備
市内の体育館で障害のある人が歩行練習できるところを探したところ
健康増進センターに150メートルのトラックがあった
さっそく1月16日から通い始めた
雪の泉が岳を眺めながらトラックをまわって、
マシンで筋トレ、またトラックをまわる
最後にストレッチをして帰ってくる
いつもの慌ただしい生活から
衛さんの状況にあわせて、ゆっくり、ゆっくり時間が流れていく
私たちふたりにとって
ささやかな幸せの時だった
手術前1週間の絶食 、 全身麻酔、 手術、
手術後2週間で退院の時には、足腰の筋力が衰えてしまっていた
年が明けて1月2日から歩行練習に出かけた
台原森林公園
一日目は100メートル位歩くのがやっとだった
二日、三日 と 少しずつ距離を延ばしていった
真冬の公園は寒い、風邪を引かないかと心配しながら・・・
ダウンジャケット、帽子、手袋、マスクで防備
市内の体育館で障害のある人が歩行練習できるところを探したところ
健康増進センターに150メートルのトラックがあった
さっそく1月16日から通い始めた
雪の泉が岳を眺めながらトラックをまわって、
マシンで筋トレ、またトラックをまわる
最後にストレッチをして帰ってくる
いつもの慌ただしい生活から
衛さんの状況にあわせて、ゆっくり、ゆっくり時間が流れていく
私たちふたりにとって
ささやかな幸せの時だった
化学療法
退院前に腫瘍内科で治療の相談をした
衛さんも私も抗がん剤に不安があった。
抗がん剤で日常生活が遅れないようならやらない方がいい。
腫瘍内科の先生はとても親切で話しやすく、衛さんもホッとしたようす。
自分も同業なのに先生の前ではすっかり患者さんになっている。
7つ程治療が紹介された
最近一番効果がある方法は、それだけ副作用も強く、
もともとHAM症候群という病気を持っていて脚の不自由な衛さんにとっては大変な治療になりそうだ。
結局、衛さんは週1回の通院でできる方法を選んだ
それならうまくいけば仕事にも行けるかも知れないということだった。
12月21日から治療が始まった
病院に行く車も気を遣った
車の発進もお腹の痛みが強くなり、マンホールなど踏んだらもう大変
運転のへたな私はため息ばかり・・・
治療は2時間点滴をしてその中間に抗がん剤を一気に入れる。
2〜3日は身体がきついようだ、特に二日目は食事が殆ど食べられない
そんな彼をみるとまた不安になってしまう
やっぱりやらない方がよかったのかな、と
食べられない主人を見て悲しくなったり憤ったり
「お父さんは食べられないんだからしょうがないでしょ」
と娘に叱られる始末
でも4回目の治療の頃から
お腹の痛みが少なくなってきた
肝機能もよくなってきている
薬が効いているらしい
衛さんも私も抗がん剤に不安があった。
抗がん剤で日常生活が遅れないようならやらない方がいい。
腫瘍内科の先生はとても親切で話しやすく、衛さんもホッとしたようす。
自分も同業なのに先生の前ではすっかり患者さんになっている。
7つ程治療が紹介された
最近一番効果がある方法は、それだけ副作用も強く、
もともとHAM症候群という病気を持っていて脚の不自由な衛さんにとっては大変な治療になりそうだ。
結局、衛さんは週1回の通院でできる方法を選んだ
それならうまくいけば仕事にも行けるかも知れないということだった。
12月21日から治療が始まった
病院に行く車も気を遣った
車の発進もお腹の痛みが強くなり、マンホールなど踏んだらもう大変
運転のへたな私はため息ばかり・・・
治療は2時間点滴をしてその中間に抗がん剤を一気に入れる。
2〜3日は身体がきついようだ、特に二日目は食事が殆ど食べられない
そんな彼をみるとまた不安になってしまう
やっぱりやらない方がよかったのかな、と
食べられない主人を見て悲しくなったり憤ったり
「お父さんは食べられないんだからしょうがないでしょ」
と娘に叱られる始末
でも4回目の治療の頃から
お腹の痛みが少なくなってきた
肝機能もよくなってきている
薬が効いているらしい
神様の家族
衛さんが天国に召されてもうすぐ6ヶ月
毎月、月命日になると
教会の姉妹たちが訪ねて来てくれる
仙台に来て間もない私たちですが、
衛さんが病気になってから、
どれだけ助けられたことでしょう
祈ってくれるひと
励ましてくれるひと
食事を届けてくれるひと
クリスチャンは神様の家族、だから兄弟姉妹と呼びます
今日もちょっと早いけど、と来てくれた
しかも

サプライズ
みんなにお祝いしてもらった
今年は娘と2人で過ごした誕生日(15日)
彼女がケーキを買ってきてくれて、夕食を作ってくれた
主人のいない悲しさと
娘のやさしさに
泣きながら食べたのだった
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毎月、月命日になると
教会の姉妹たちが訪ねて来てくれる
仙台に来て間もない私たちですが、
衛さんが病気になってから、
どれだけ助けられたことでしょう
祈ってくれるひと
励ましてくれるひと
食事を届けてくれるひと
クリスチャンは神様の家族、だから兄弟姉妹と呼びます
今日もちょっと早いけど、と来てくれた
しかも
サプライズ

みんなにお祝いしてもらった
今年は娘と2人で過ごした誕生日(15日)
彼女がケーキを買ってきてくれて、夕食を作ってくれた
主人のいない悲しさと
娘のやさしさに
泣きながら食べたのだった
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生きるにしても死ぬにしても
衛さんは自分の病気を受けとめていた
「生きるにしても死ぬにしてもキリストの栄光のためだよ」
と語った
それは聖書のなかでパウロが言った言葉
生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。
私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。(ピリピ人への手紙2章20〜21)
衛さんは
「僕は自分のやってきたことに悔いはない。
でも神様が生かして下さるなら、自分が癌になった体験を通して
ホスピスの医師として
もっと患者さんに寄り添いたい
このことを患者さんに還元したい」
こう語った

12月15日退院
前の日病院前の公園を散歩した
退院して
やっぱりおうちがおちつくね、と
ご主人様が帰ってマナも安心
「生きるにしても死ぬにしてもキリストの栄光のためだよ」
と語った
それは聖書のなかでパウロが言った言葉
生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。
私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。(ピリピ人への手紙2章20〜21)
衛さんは
「僕は自分のやってきたことに悔いはない。
でも神様が生かして下さるなら、自分が癌になった体験を通して
ホスピスの医師として
もっと患者さんに寄り添いたい
このことを患者さんに還元したい」
こう語った
12月15日退院
前の日病院前の公園を散歩した
退院して
やっぱりおうちがおちつくね、と
2つの恐怖
手術が終わった夜 衛さんは
脚が動かない! がんじがらめのような
すごい恐怖感が襲ってきたそうだ
その時は私がそばにいてくれて安心したと。
もうひとつの恐怖は
暗闇だった
手術して1週間頃
夕方、あたりがだんだん暗くなると怖くなったと
私がそばにいてもだめ?
これは愛だけじゃだめなんだよ
明日から安定剤をもらおう
悲しかった・・・
こんなに愛しているのに
愛だけじゃだめだって・・・

イェス様は闇を照らす光だよね
衛さんは安定剤をもらったが一度も飲まなかった
夕方になると窓のブラインドを開けて
暮れ行く外を眺めた 2人で肩を並べて眺めた
玲子がイェス様は光だって言ってくれたから
イェス様が勝利した闇を眺めることにしよう
衛さんて強いひとだなあ
脚が動かない! がんじがらめのような
すごい恐怖感が襲ってきたそうだ
その時は私がそばにいてくれて安心したと。
もうひとつの恐怖は
暗闇だった
手術して1週間頃
夕方、あたりがだんだん暗くなると怖くなったと
私がそばにいてもだめ?
これは愛だけじゃだめなんだよ
明日から安定剤をもらおう
悲しかった・・・
こんなに愛しているのに
愛だけじゃだめだって・・・
イェス様は闇を照らす光だよね
衛さんは安定剤をもらったが一度も飲まなかった
夕方になると窓のブラインドを開けて
暮れ行く外を眺めた 2人で肩を並べて眺めた
玲子がイェス様は光だって言ってくれたから
イェス様が勝利した闇を眺めることにしよう
衛さんて強いひとだなあ





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