› 杜の都仙台から › 2008年03月テレパシー
病院の待合室でのこと
衛さんは目をつぶってずーっとうつむいていた
気分がわるいのかなあ・・・私もじっとしていた
衛さんは突然私の顔をのぞきこんで
「聴こえた?」
「えっ、なあに?」
「今、テレパシーの練習してた」
私は毎晩衛さんにしがみついて眠っていた
私を置いて遠くに行ってしまう・・・
もうすぐ月に帰ってしまうかぐや姫
いや、かぐやパパだねって
そして私はなんとか引き留めようとするおばあさん
テレパシーは習得できなかったけど
いつもやさしいまなざしで
「愛してるよ 」 って言ってくれたそのことば
今も聴こえているよ 衛さん
衛さんは目をつぶってずーっとうつむいていた
気分がわるいのかなあ・・・私もじっとしていた
衛さんは突然私の顔をのぞきこんで
「聴こえた?」
「えっ、なあに?」
「今、テレパシーの練習してた」
私は毎晩衛さんにしがみついて眠っていた
私を置いて遠くに行ってしまう・・・
もうすぐ月に帰ってしまうかぐや姫
いや、かぐやパパだねって
そして私はなんとか引き留めようとするおばあさん
テレパシーは習得できなかったけど
いつもやさしいまなざしで
「愛してるよ 」 って言ってくれたそのことば
今も聴こえているよ 衛さん
イースターの賛美と証
去年のイースターは4月8日
衛さんは特別賛美と証をした
賛美は 「感謝します」
この歌も衛さんがよく歌っていた曲で
衛さんの信仰そのものを表している
・・・・・・ 2007年イースターの証 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・喜久里 衛 ・・・・・・
生きるにも死ぬにも私の身によって キリストがあがめられること(ピリピ人への手紙 1: 20)
私は昨年の11月末に大腸癌の診断により、手術を受けました。癌は進行癌でありそれもかなり進んでいると説明を受けました。私は医師であり、また、癌末期の方々のお世話をするホスピスに勤めていますので、癌の進行具合を聴いて、もう助からない、「死の備え」を心しようと思いました。その時考えていたことは冒頭に述べた聖句です。
妻とそのことで話しあい、子どもたちにも心備えを促しました。ところで、病気の説明を受けた後、私は病気の状況から神様は病気の癒しについて何もして下さらないだろうなと不信仰な思いを抱きました。 余命は数ヶ月とも言われ、私は残された短い期間に神様に叶えて欲しいことを考え、三つのことをお願いすることにしました。
一つは家族の信仰の一致。私には子どもが4人いますが、それぞれ一度はイェス様への信仰を表し、バプテスマを受けました。しかし、神様から離れている子たちがいます。ぜひ信仰が回復し、家族が信仰を一致して一つとさせていただきたいのです。
二つ目は、職場(ホスピス)に復帰して癌末期の患者さんに寄り添いたいとの願いです。同じく癌を患う身として患者さんが抱く痛みを共に感じながら寄り添いたいのです。また、私の身を親切な心で対応して下さった私が勤める病院に報いたいという願いです。
三つ目は、教会で何らかのご奉仕に与りたいとの願いでした。私は27年前、私の理想とする人として、また神様であるイェス様を私は幼子のように私の主として信じ受け入れました。神様のお恵みでした。これまでの信仰生活を通して、私は神様に感謝でいっぱいです。信仰を持ったことを後悔することはありません。また、神様に失望することは一度もありませんでした。父のように、神様は私を訓練し育てて下さいました。この神様に生涯お仕えしたいのです。
私はせっぱ詰まったような思いで、佐藤先生ご夫妻や仙台北教会の皆様に、また以前所属していた沖縄の教会やその他の知人のクリスチャンにお祈りをお願いしました。これまでに私は、多くの方々からお手紙やお電話をいただきました。また、直接お見舞いに来て下さった方々もありました。私はこのような多くの皆様と接していくうちに、生きながらえることに思いが変わっていきました。聖書の中でも人は生きながらえることを神様に願い、神様も人の生きたいという思いを理解しておられることを知りました。このことを通して、神様は生きながらえることを願ってもよいのだよと言っておられるように思ったのです。
聖書の中で、パウロは「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるのでどちらを選んだらよいのか、私にはわかりません・・・・・しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。私はこのことを確信していますから、あなた方の信仰の進歩と喜びのために、私が生きながらえて、あなた方すべてと一緒にいるようになることを知っています。」(ピリピ人への手紙1:21〜25)と述べています。
私は神様のみこころにかなうなら、生きながらえて家族や教会そして職場・地域で神様と隣人へ仕えたいと切に願うようになりました。私はいのちを神様に賜りました。いのちは神様のものです。ですから、みこころのままに生きます。生きるにしても死ぬにしても私の身によって、私の主イェス様があがめられますように神様に願い求めます。
神様の御名にご栄光がとこしえにありますように!
衛さんは特別賛美と証をした
賛美は 「感謝します」
この歌も衛さんがよく歌っていた曲で
衛さんの信仰そのものを表している
1.感謝します 試みにあわせ
鍛えたもう 主の導きを
感謝します 苦しみの中で
育てたもう 主の御心を
* しかし 願う道が 閉ざされた時に
目の前が 暗くなりました どんな時でも
あなたの約束を 忘れない者としてください
2.感謝します 悲しみの時に
共に泣きたもう 主の愛を
感謝します こぼれる涙を
ぬぐいたもう 主のあわれみを
*くりかえし
3.感謝します 試みに耐える
力をくださる みめぐみを
感謝します すべてのことを
最善となしたもう みこころを
* くりかえし
鍛えたもう 主の導きを
感謝します 苦しみの中で
育てたもう 主の御心を
* しかし 願う道が 閉ざされた時に
目の前が 暗くなりました どんな時でも
あなたの約束を 忘れない者としてください
2.感謝します 悲しみの時に
共に泣きたもう 主の愛を
感謝します こぼれる涙を
ぬぐいたもう 主のあわれみを
*くりかえし
3.感謝します 試みに耐える
力をくださる みめぐみを
感謝します すべてのことを
最善となしたもう みこころを
* くりかえし
・・・・・・ 2007年イースターの証 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・喜久里 衛 ・・・・・・
生きるにも死ぬにも私の身によって キリストがあがめられること(ピリピ人への手紙 1: 20)
私は昨年の11月末に大腸癌の診断により、手術を受けました。癌は進行癌でありそれもかなり進んでいると説明を受けました。私は医師であり、また、癌末期の方々のお世話をするホスピスに勤めていますので、癌の進行具合を聴いて、もう助からない、「死の備え」を心しようと思いました。その時考えていたことは冒頭に述べた聖句です。
妻とそのことで話しあい、子どもたちにも心備えを促しました。ところで、病気の説明を受けた後、私は病気の状況から神様は病気の癒しについて何もして下さらないだろうなと不信仰な思いを抱きました。 余命は数ヶ月とも言われ、私は残された短い期間に神様に叶えて欲しいことを考え、三つのことをお願いすることにしました。
一つは家族の信仰の一致。私には子どもが4人いますが、それぞれ一度はイェス様への信仰を表し、バプテスマを受けました。しかし、神様から離れている子たちがいます。ぜひ信仰が回復し、家族が信仰を一致して一つとさせていただきたいのです。
二つ目は、職場(ホスピス)に復帰して癌末期の患者さんに寄り添いたいとの願いです。同じく癌を患う身として患者さんが抱く痛みを共に感じながら寄り添いたいのです。また、私の身を親切な心で対応して下さった私が勤める病院に報いたいという願いです。
三つ目は、教会で何らかのご奉仕に与りたいとの願いでした。私は27年前、私の理想とする人として、また神様であるイェス様を私は幼子のように私の主として信じ受け入れました。神様のお恵みでした。これまでの信仰生活を通して、私は神様に感謝でいっぱいです。信仰を持ったことを後悔することはありません。また、神様に失望することは一度もありませんでした。父のように、神様は私を訓練し育てて下さいました。この神様に生涯お仕えしたいのです。
私はせっぱ詰まったような思いで、佐藤先生ご夫妻や仙台北教会の皆様に、また以前所属していた沖縄の教会やその他の知人のクリスチャンにお祈りをお願いしました。これまでに私は、多くの方々からお手紙やお電話をいただきました。また、直接お見舞いに来て下さった方々もありました。私はこのような多くの皆様と接していくうちに、生きながらえることに思いが変わっていきました。聖書の中でも人は生きながらえることを神様に願い、神様も人の生きたいという思いを理解しておられることを知りました。このことを通して、神様は生きながらえることを願ってもよいのだよと言っておられるように思ったのです。
聖書の中で、パウロは「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるのでどちらを選んだらよいのか、私にはわかりません・・・・・しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。私はこのことを確信していますから、あなた方の信仰の進歩と喜びのために、私が生きながらえて、あなた方すべてと一緒にいるようになることを知っています。」(ピリピ人への手紙1:21〜25)と述べています。
私は神様のみこころにかなうなら、生きながらえて家族や教会そして職場・地域で神様と隣人へ仕えたいと切に願うようになりました。私はいのちを神様に賜りました。いのちは神様のものです。ですから、みこころのままに生きます。生きるにしても死ぬにしても私の身によって、私の主イェス様があがめられますように神様に願い求めます。
神様の御名にご栄光がとこしえにありますように!
ゲッセマネの祈り
もうすぐイースター(復活祭)
そのせいかわたしの心は不安定
なにも手に付かない
家にいるとボーッとしている
涙が出てしまう
去年のイースターには
教会の聖歌隊で歌っていた衛さん
私はいつも神様に自分の思いをぶつけた
ある時は怒ったり、また、そんな自分を謝ったり・・・
神様はもしかしたらご計画を変えて癒してくださるかもしれない
聖書の中で数々の癒しや奇跡をした方は今の時代にも働かれるはずではないか!
父よ、みこころならば、この杯をわたしから取りのけて下さい。
しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください (ルカ22:42)
イェス様はゲッセマネの園でこのように祈った
衛さんはこれは究極の祈りだと言った
だから癒されることを願いながらも
みこころに従う決意ができていた
気が狂わんばかりの私をなだめ
だいじょうぶ・・だいじょうぶ・・
神様は最善をしてくれるんだよ、と
そのせいかわたしの心は不安定
なにも手に付かない
家にいるとボーッとしている
涙が出てしまう
去年のイースターには
教会の聖歌隊で歌っていた衛さん
私はいつも神様に自分の思いをぶつけた
ある時は怒ったり、また、そんな自分を謝ったり・・・
神様はもしかしたらご計画を変えて癒してくださるかもしれない
聖書の中で数々の癒しや奇跡をした方は今の時代にも働かれるはずではないか!
父よ、みこころならば、この杯をわたしから取りのけて下さい。
しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください (ルカ22:42)
イェス様はゲッセマネの園でこのように祈った
衛さんはこれは究極の祈りだと言った
だから癒されることを願いながらも
みこころに従う決意ができていた
気が狂わんばかりの私をなだめ
だいじょうぶ・・だいじょうぶ・・
神様は最善をしてくれるんだよ、と
明日を守られるイエス様
沖縄の病院アドベンチスト・メディカルセンター
毎週火曜日のお昼のコンサート
いつも歌っていた賛美歌
それが「明日を守られるイエス様」
言わば 喜久里衛のテーマソングである
衛さんが賛美歌を歌う時は
なんどもなんどもくちずさみ
その歌詞を かみしめて
自分のものとして歌っていた
だから聴くひとの心にひびくのだと思う
衛さんはこの歌を何度もなんども歌い
心の底から
イェス様に信頼していった
だから いつもおだやかでいられたのだと思う
毎週火曜日のお昼のコンサート
いつも歌っていた賛美歌
それが「明日を守られるイエス様」
言わば 喜久里衛のテーマソングである
明日を守られるイェス様
1. 明日は どんな日か 私は知らない
晴れか あらしか 曇りになるか
私は あしたを 心配しない
イエスが 私を 守られるから
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
2. 日々の歩は 日々に 明るく
肩の重荷は しだいに軽い
輝く太陽 涙かわかし
仰ぐ空には 虹のかけはし
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
3. 明日は どんな日か 私は知らない
どんな道筋が 先に あるかも
だけど 私は 心配しない
イエスがおられる 私のそばに
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
1. 明日は どんな日か 私は知らない
晴れか あらしか 曇りになるか
私は あしたを 心配しない
イエスが 私を 守られるから
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
2. 日々の歩は 日々に 明るく
肩の重荷は しだいに軽い
輝く太陽 涙かわかし
仰ぐ空には 虹のかけはし
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
3. 明日は どんな日か 私は知らない
どんな道筋が 先に あるかも
だけど 私は 心配しない
イエスがおられる 私のそばに
明日は 私には わからないけど
明日を 守られる イエスが おられる
衛さんが賛美歌を歌う時は
なんどもなんどもくちずさみ
その歌詞を かみしめて
自分のものとして歌っていた
だから聴くひとの心にひびくのだと思う
衛さんはこの歌を何度もなんども歌い
心の底から
イェス様に信頼していった
だから いつもおだやかでいられたのだと思う
家族のひととき
衛さんの余命宣告は子どもたちにとってどんな思いだったろう
手術の説明を聞く時、長男、次男が同席してくれた
説明が終わって、私が泣いている間、長男はドアの側でぐっとこらえているように見えた
ふと気がつくと次男の姿が見えなかった、
病室に戻った彼はお父さんをまともに見れないように私には感じられた
まじめで誠実なお父さんが
神様のためにも一生懸命やってきたお父さんがなぜ?
神様に裏切られたような気がする・・・
三男の言葉・・・
子どもたちの正直な気持ちだろう
私が泣いていると、長男が言った
つらい時は自分だけで抱え込まないでおれたちにも言ってよ
子どもたちが頼もしく見えた

2006年クリスマス
家族で過ごす最後のクリスマスかもしれない
衛さんはこどもたち一人ひとりと
語り合った
2007年2月11日

松島に1泊
ホテルの部屋からずっと海を眺めていた
ちらつく雪がライトアップされとても幻想的だった
衛さんは夕食も殆ど食べて
私がかえって心配するほどだった
それだけ気分が良かったのだろう

一週間前は
この旅行を中止しようかと思うほど辛かったのに
神様感謝します
手術の説明を聞く時、長男、次男が同席してくれた
説明が終わって、私が泣いている間、長男はドアの側でぐっとこらえているように見えた
ふと気がつくと次男の姿が見えなかった、
病室に戻った彼はお父さんをまともに見れないように私には感じられた
まじめで誠実なお父さんが
神様のためにも一生懸命やってきたお父さんがなぜ?
神様に裏切られたような気がする・・・
三男の言葉・・・
子どもたちの正直な気持ちだろう
私が泣いていると、長男が言った
つらい時は自分だけで抱え込まないでおれたちにも言ってよ
子どもたちが頼もしく見えた
2006年クリスマス
家族で過ごす最後のクリスマスかもしれない
衛さんはこどもたち一人ひとりと
語り合った
2007年2月11日
松島に1泊
ホテルの部屋からずっと海を眺めていた
ちらつく雪がライトアップされとても幻想的だった
衛さんは夕食も殆ど食べて
私がかえって心配するほどだった
それだけ気分が良かったのだろう
一週間前は
この旅行を中止しようかと思うほど辛かったのに
神様感謝します



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